この頃映画の撮影などに大忙しのエルビスプレスリーでしたが、ついに1966年12月25日、プリシラ・ポーリューに正式に結婚を申し込み、クリスマスギフトとしてダイアモンドの婚約指輪をプレゼントしました。
そして1967年4月、映画「ブルー・マイアミ」の撮影終了後にエルヴィスプレスリー、プリシラ、ジョー・エスポジート夫妻、ジョージ・クライン夫妻が飛行機でパーム・スプリングズヘ飛び、エルビス・プレスリーの別荘に入りました。
父のヴァーノンは再婚相手のディーとメンフィスから列車でサン・バーナーディノまで行き、そこからジェリ一・シリング夫妻達と車でパーム・スプリングズに向かいました。( 父のヴァーノンとディーの結婚式にはエルビスプレスリーは出席しませんでした)
翌日、マネージャーのパーカー大佐(少し前にエルビスプレスリーとのマネージャー契約を変更し、パーカー大佐の取り分であるマネジメント料を従来の25%から50%に引き上げ)が明日記者会見があるとだけ声明、エルヴィス・プレスリーの結婚式はぎりぎり当日までマスコミはもちろんのこと、親しい友人たちに対しても伏せられたのでした。
1967年5月1日、エルビスプレスリー達は、リアー・ジェットでラスベガスに飛び、午前3時、マッキャラン空港に到着しました。
その足で午前3時30分、エルビスプレスリーとプリシラは、ラス・ヴェガスを管轄するクラーク郡の郡庁で15ドルを払い結婚許可証を入手したのです。
そして午前9時41分、エルヴィスプレスリーとプリシラはアラディン・ホテルの2階(オーナーでパーカー大佐の友人であるミルトン・プレル)のスイートで、ネヴァダ州高等裁判所判事デヴィッド・ゼーノフの采配により約8分間の結婚式を挙げました。
エルビスプレスリーとプリシラの近親者およびパーカー大佐夫妻以外で、結婚式に参列できたエルビスプレスリーの友人は2人だけでした。
挙式後、ホテルの宴会場で記者会見があり、続いてエルビスプレスリーとパーカー大佐の親しい友人を招いての披露宴が催されました。
しかし、この披露宴に招かれなかった友人も多く、タブロイド新聞(アメリカの大衆紙)を見て初めて結婚式のことを知った人もいたり、また、式の参列者に選ばれず憤激のあまり披露宴にも出席しなかった人もいたそうです。
少しドタバタしましたが、エルビスプレスリーは愛するプリシラと無事結婚することができました。