歌で若者を虜にしたエルビスプレスリーですが、実は歌手よりも映画俳優になりたかったのです。
エルビスプレスリー自身はジェイムス・ディーンやマーロン・ブランドに憧れていましたが、有名になるためにと歌を歌うことを選びました。
そして有名になっていくにつれて映画会社数社からも出演の依頼が彼の元に届いたのです。
エルヴィスプレスリーは憧れだった映画に出演できると大変喜んで、映画館に通いつめ、演技を独学で勉強したのでした。
初出演映画にはマネージャーであるパーカー大佐が、エルビスプレスリーを映画の主演にさせたかったので20世紀FOX配給「Rino Brothers」を選びました。
この映画は南北戦争直後の南部を舞台に、兄の婚約者と結婚した弟(エルビスプレスリー)の悩みと、兄を助けるために凶弾に倒れる悲劇を描いたもので、エルビスプレスリーはシリアスな演技派の俳優になりたかったので、映画内では歌を歌わないつもりでしたが、パーカー大佐の要請で4曲も歌うことになりタイトルも「Love Me Tender」に変更されてしまったのです。
エルビスプレスリーは当時のガールフレンドに映画の不満を漏らしていたそうです。
結局、1956年から1969年まで計31本の映画が公開されましたが、エルビスプレスリーが望んだ歌なしの映画は1969年公開の「Charro(殺し屋の烙印)」しかありませんでした。
エルビスプレスリーが力を入れて撮影したシーンがカットされたり、既にエルヴィスプレスリーの主演映画の世間の注目度も低く脚本の出来もイマイチであったので、映画自体は振るわなかったのです。
数多く撮影されたにも関わらず、台本に恵まれずミュージカル映画の枠を超える事はなく、エルビスプレスリーの仕事への不満が溜まる要因を作り、歌手としてコンサート活動を再開するきっかけになりました。
エルビスプレスリーの主な出演作品には、次のような作品があります。
「監獄ロック(Jailhouse Rock)」(1957年)
「G・I・ブルース(GI Blues)」(1960年)
「燃える平原児(Flaming Star)」(1960年)
「ブルー・ハワイ(Blue Hawaii)」(1961年)
「ラスベガス万才(Viva Las Vegas)」(1964年)