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エルビスプレスリーとショービジネス

ナンバーワンチャートに輝いたエルビスプレスリーは当時普及し始めていたテレビに出演するようになりました。

エルヴィスプレスリーの歌は、それまでの白人アーティストたちに比べるとあまりに黒人っぽかったので、ラジオで聴いた多くの聴衆は、初めエルビスプレスリーのとこを黒人だと思っていたほどです。


しかし、エルビスプレスリーがテレビ画面に登場し、そこでロックンロールを歌ったことで、世の人々は間違いなくエルビスプレスリーの存在を知り、白人青年による黒人たちの歌の模倣という衝撃的な出来事を目の当たりにすることになりました。

まして、テレビ画面では、エルヴィスプレスリーは歌だけでなく、腰を激しく動かす黒人ならではのダンスも映ってしまいます。


これがまた、多くの白人の大人たちの反感を買うことになったのでした。

テレビ局はエルビスプレスリーがテレビで腰を振るシーンが公開された時の世論の反発を恐れたので、当初エルビスプレスリーのテレビ出演に消極的でした。

しかし、テレビがやっとお茶の間に広がり始めたこの時期は、まだまだ放映するプログラムが少なく、まして若者たちに受け入れられる人気番組は、数が限られていました。

そんな中、音楽番組は、予算も少なく比較的簡単に制作できる人気プログラムだったのです。


そこで、フランク・シナトラやアンディ・ウィリアムス、パット・ブーン、トニー・ベネットなどのエンター・テナーを中心とする音楽番組が次々に登場しました。

これらは白人の大人に対する娯楽であったため、本当に若者たちが見たがっているのは、エルビスプレスリーでした。

そしてその時代の波に乗り、テレビ局がこぞってエルビス・プレスリーを出演させるようになって行きます。


先ず最初に出演したのは「ドーシー・ブラザース・ショー」でした。

またABCテレビの「ミルトン・バール・ショー」に出演したときは「シェイク・ラトル・アンド・ロール」「ハートブレイク・ホテル」「ブルー・スエード・シューズ」を歌い、この時の視聴者の総数は4千万人にのぼったのですが、司会者のミルトン・バールは放送後なんと数万通ともいわれる抗議のレターを受け取ることになったのでした。


フロリダ州ジャクソンビルでのコンサートでは、エルビスプレスリーの動作が10代の観客に悪い影響を及ぼすとし、それに従わなかった場合のためにエルビスプレスリーの逮捕状も用意したのでした。

エルヴィス・プレスリーは後で、仕方なく指だけを動かしたと語ったそうです。

ラス・ヴェガスのニュー・フロンティア・ホテルでの最初の公演では、当初は4週間の予定が、観客の反応が芳しくないため2週間で打ち切られましたが、他の芸能人のステージを見て周るなどエルビスプレスリーはラスベガスに対する憧憬を持ち続け、これが後のラス・ヴェガスでの成功につながったのでした。


そんな中、エルビスプレスリー家はメンフィスの高級住宅街にあるオーデュボン・ドライブの邸宅を購入し引っ越しました。

そしてNBCテレビ「スティーブ・アレン・ショー」出演した時は、黒のタキシードを着せられたエルビスプレスリーはその時の演出でバセット・ハウンド犬に向かって「ハウンド・ドッグ」を歌わされました。

視聴率は22.2%でライバルの「エド・サリバン・ショー」の14.8%を凌駕したのですが、エルビスプレスリーにとって、犬を相手に歌わされたのはひどく屈辱的な出来事だったようです。


もう出演していないのは自分の番組にはエルビスプレスリーを出演させないと言っていた「エド・サリバン・ショー」ぐらいでしたが、この日の高視聴率と、ティーン・エージャーからの圧力に押されて出演契約を結んだのでした。


そしてついにCBSテレビの「エド・サリバン・ショー」に第1回目の出演しました。

この時エド・サリバンは交通事故で入院中だったため、英国の俳優チャールズ・ロートンが司会の代役を務めました。

エルビスプレスリーは「冷たくしないで」「ラブ・ミー・テンダー」「レディ・テディ(Ready, Teddy)」「ハウンド・ドッグ」を歌いました。

視聴率はなんと驚異的な82.6%、視聴者数5千4百万人でした。


「エド・サリバン・ショー」に3回目の出演の時、前回、前々回の放送後、エルビスプレスリーの動作についての非難があまりに多かったため、エドはエルビスプレスリーの腰から上だけを撮影するように指示したのです。


エルヴィスプレスリーが歌ったのは「ハウンド・ドッグ」「ラブ・ミー・テンダー」「ハートブレイク・ホテル」「冷たくしないで」「ブルームーンがまた輝けば(When My Blue Moon Tunrs To Gold Again)」「谷間の静けさ(Peace In The Valley)」の7曲を歌いました。

腰から上しか撮影しなかったことでエルビスプレスリーが気を悪くしているのではないかと慮った司会のエドは、番組の最後のシーンでエルビスプレスリーを「非常に礼儀正しい立派な青年」と持ち上げ、また「これまでの中で一緒に仕事をするのが最も楽しかった出演者」とも付け加えたのです。


当時エドの一般視聴者に及ぼす影響力はそれほど絶大だったので、この時のエドの言葉がエルビスプレスリーに対する誤解に基づいた非難の沈静化にかなり貢献したことは確かでした。


そしてこの瞬間は同時に、ロックン・ロールが白人社会にひとつの文化として定着した瞬間でもあったのです。

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